NOTE ノート

未来の命の物語りは?

共同通信 配信 2019・12


 「おなかが大きくなるのはイヤ、卵で産みたい」
 かつて、女優の秋吉久美子さんが結婚会見でこう語り、今でいう炎上が起こりました。後に女性が仕事をしながら子どもを産むことの大変さを伝えたかったと説明していますが、彼女の個性と相まって、世間は奔放で無責任な空想と捉えていたと思います。
 会見の前年にあたる1978年、英国のエドワード博士らが世界初の体外受精児誕生に成功しています。当時試験管ベビーと呼ばれた、ある意味、神の領域に踏み込んだこの行為は、生命倫理や宗教の観点から激しい非難に曝されましたが、妊娠に対する価値観の変化とともに批判も収束してゆきます。物語は変わったのです。
 あれから40年、生殖技術は途轍もなく進化しましたが、基本はミクロへの進展です。つわりや陣痛のメカニズムは未だ解明できていませんし、セックスをせず、おなかを大きくしなくてもわが子を抱ける時代になりましたが、それには体外受精卵を移植する他人の子宮が必要です。誰かのおなかは大きくなるのです。
 代理出産を知った時、その是非は別として、誰の受精卵でも受容する子宮という臓器の深遠さに唸らされました。ヒトが初めて獲得する五感は触覚です。いくつになっても優しく触れられるとほっこり癒されるのは、この子宮との触れあいが原点にあるからだろうと、「しきゅうちゃん」というキャラクターグッズまで創ったほどです。
 それでも、効率重視やリスク排除の風潮の先には、生殖の完全外部化が見えてきます。技術の加速度的な進化により、人工子宮が開発され、そこに予め凍結しておいた受精卵を入れることで「卵で産む」が現実化する日も遠い未来でないのかもしれません。
 エンジニアが体外で命を管理できれば産科医不足、妊産婦死亡ゼロ、少子化などの課題は一気に解決できるのでしょうが、文明の暴走を止めることはできなくなるでしょう。
 人間の欲望には際限がありません。「自然妊娠? 受精卵の異常さえわからないのよ。精子は選べないし、遺伝子操作もできなくなる。妊娠中は不自由で行動も制約されるし、お酒も自由に飲めやしない。出産は苦痛だし赤ちゃんに障害が残るかもしれないのよ。そんな無謀な選択、あなたはできるの?」
 技術革新はそんな感情に支配される未来をつくるのか、メルヘンと一笑されそうですが、愛と触れあいを希求した自然回帰が起こるのか。それは社会がどのような命の物語を未来へと紡いでゆくかによるのでしょう。
 その頃には私はもう生きてないとは思いますが、すくなくとも自分が産科医でいるかぎりは、私は命を守るだけでなく、個々の人生を丁寧に見守り続けていたいと思います。