NOTE ノート

絶対”のない「いのち」を生きる    2012/1

 現在の日本では、妊娠・出産でいのちを落とすお母さんと赤ちゃんは、とても少なくなった。安全に産めるのが当然で、「お産で死ぬんじゃないか」と考えることは一般的ではなくなった。

 僕は1980年代後半に産科医になった。「いのちを救う、助ける」とか「安全なお産をする」ことで社会や人のために貢献していると信じ、寝る間を惜しんでがむしゃらに働いてきた。当時は新しいテクノロジーがどんどん開発・導入され、産科医としてとてもやりがいのある時間だったし、このまま医療が進んでいけば、すべてのお母さんと赤ちゃんを救うことができると信じて働いていた。僕が必死で救った人たちは、みんな幸せになっているに違いないとも思っていた。

 だけど、ふと気がついてみると、出産でいのちを落とす母子は激減したけれど、社会は、そして家族は幸せになったんだろうか?がよく分からくなった。虐待が年々増え、親が子どもを殺したり、逆に子どもが親を殺したりと報道されていた。自殺者数も世界でトップクラスだったりするこの国は果たして幸せになったのだろうか・・・

 わかってきたのは、僕が見てきたのはかなり特殊な一断面だけで、母子と家族が退院後、社会でどう生きてゆくのかなど、まったく見ていなかったということ。もしかしたら本来亡くなっていたかもしれない“いのち”を救ったことで、家族を崩壊させていたのかもしれない・・・そんなことを、考えたり、気づいたりできことがなかった自分って何? そう思うと、産科医として仕事を続けることができなくなった。

 なぜこれだけ、いのちを軽く扱う社会になってしまったのか。僕にはいのちを産みだす現場にその一因があるように思えてならなかった。医療技術が進歩する中で僕たちが切り捨ててきたものがある。例えば、その人の個性とか、周囲との関係性などなど。標準化ができないこうした混沌とした日常は、現代医療を施すうえで無視するほうがやりやすい。こういう性格だからとか、2ヶ月後に大切な行事があるからといった個々の都合で、治療の先延しをしていたら、たしかに医療はなりたたない。だから自分や家族の治療は難しいのだが、いのちが育まれる営みの場で、こうした個別的で曖昧なものを、躊躇なく断ち切っていってしまったことは本当によかったのだろうか?

 妊娠・出産前後の女性の人生に寄り添うことを目的としたカウンセリングや、医療の範疇を超えた活動を展開してゆくようになっておぼろげながら感じてきたのは、お産は単に元気な子どもを安全に産めればいいんじゃなく、自分を信じて生き抜いてゆくには、そこには「物語」が必要なんだろうということだった。いつ、どこで誰とどのようなお産をするかによって、結果は同じだったとしても、そこから生まれてくる物語りはかわってくる。スポーツやセックスと同じで、そのときの状況によって引き出される力や感覚、満足度が違ってくるからだ。自然分娩であれ帝王切開であれ、その場で、どれだけのパフォーマンスが発揮できたのか、その体験を自ら受け入れられたかは本人しかわからない。その体験の傍らに、僕たち医療者も深くかかわっている。
 これだけ医療技術が進んでも、死産も、障害を持って生まれてくる子どももなくすことはできない。まだ若いし次があるから、早く忘れなさい、と言っても受け入れられるはずはない。そこに何が必要かというと、「意味」なのだと思っている。どんな子でも、死産であっても、自分たちのもとへ来てくれたことには何らかの意味があるのだろう。そうした意味や物語が紡がれて、尊重されてゆかなければ、いのちを大切にする社会にはなっていきにくいのだろうと、僕は思っている。

 自分の力を精一杯出してお産ができたと思えること。家族や医療者と一緒に喜んだり泣いたりすること。そんなシンプルなこと、物語を紡いでゆくことが、いのちが産まれる現場では難しくなってきた。人間がそのままの自分でいることができなくなっている。それは、女性と家族の本来の力を奪ってしまうことにもつながっている。生き抜いていく力や、いのちをつなぎ守っていく力は、妊娠・出産を通して育まれてゆくからである。

人間はいのちをコントロールできない

 原発事故の後、自然は人間がコントロールできるものじゃないし絶対的な「安全」なんてない、と誰もが再認識をした。体外受精と代理懐胎によって、人間はセックスもお産もせずに、自分の子をつくれる時代になってしまったが、いのちだって人間がコントロールできるものではないはずだ。テクノロジーで産みだされたいのちからいったいどのような「物語」が生まれるのだろう? 

 生老病死とはいうけれど、医療もお産も本来は生活の中にあったはずだ。いのちをつないでゆくうえで大切なことはやはり生活の視点だし、生き物としての根っこの部分だと思う。個の意思が尊重される時代になっても、生き物としての僕たちの役割は「次の世代へいのちをつないでいくこと」にかわりはない。
 生と死のはざまで働いてきて常々感じることは、いのちや人間の感情は堂々巡りであって、ステップバイステップで順をおってに進んでゆくものではないということ。例えばつらいことがあったときに、まず枠をつくって、そこを乗り越えてから次へというふうにはいかない。大切なのは思いや感情はまとめず、循環させておくこと。枠をつくって総括したら流れを止めてしまう。

 「いまは我慢しなくちゃ」とか「こんなこと考えたらいけない」といった風潮もあるけれど、感じたこと、考えていることは堰きとめずに流して、そのまま受け入れてみるほうがいい。そうしないとこれまでの自分を否定することにもなるだろう。そのまま進んで、進みながら後でその意味に気づければいい。いのちや物語はそうやって繋がっていくのだろう。震災についても、何かを総括するのはもっとずっと先の話だと僕は思う。

MOKU 2012年1月号 特集"Stand  up"