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産科医が語る物語と真実 1

命のバトンを想う 奇跡を超越した物語

共同通信 配信 2019・6

  太古の昔から、私たちへと連綿と続いている命は、お産によってつながれてきました。悠久の時間から見ればほんの一時でしょうが、過去1000年をざっと振り返ってみましょう。この1000年間で、皆さんへ続いてきたお産はいくつあったと思いますか?
 ご先祖様が平均25歳でお産したとすれば、40世代を経たことになります。ご両親から遡ってゆくと、ご先祖様は各世代2人ずつで2の40乗、何とゆうに1兆を超えてきます。
 つまり、過去1000年間に皆さんには今の地球総人口75億の100倍を超えるご先祖様がいて、それと同じ1兆件のお産があなたの命へと収束してきたことになります。
 ほとんどの時代、子どもが生きられるかどうかは運命にゆだねられていました。世界随一である日本の早期新生児死亡率を適用しても、1兆人の赤ちゃんのうち1週間以内に6万人は亡くなっている計算になります。ご先祖様全員が無事に生まれただけでなく、命の灯が消えるまでに、そのパートナーと出会い、次の世代のその祖先へとバドンを渡し続けてきました。
 現在6組に1組といわれる不妊カップルもいなかったことになります。統計上は全く説明がつきません。
 ただし、元気な赤ちゃんを産み終えた後、出血や産褥熱などが原因で、その命を終えた母親はゼロというわけにはいかなかったでしょう。
 今から120年前の明治32年は、産婆制度が整備され、お産に医学が持ち込まれる契機となった年と言われますが、初めて国の人口動態調査が行われた年でもありました。
 その記録によれば妊産婦死亡率(妊産婦10万人中の死亡数)は409.9でした。報告されなかったケースも多かったでしょうから、500とすると200件のお産で1人の母親が亡くなっていたことになります。
 1960年以降になり妊産婦死亡率は大きく改善しますが、過去1000年を平均すればリスクは一段と高かったはずです。仮に200件で1人が亡くなったとしても、50億人ご先祖様がお産で命を落とされたことになります。さらに言えば、母親を亡くし生存危機に直面した50億人の赤ちゃんすべてが、どなたかにお世話してもらえたことも見逃せません。
 たった1000年間で、ご先祖様1兆人のうち1人でもバトンをつないでいなければ皆さんは存在していません。そうした奇跡を超越したとしか言いようがない、数限りない運命の物語りが紡がれた先に、私たち一人一人は生きています。“You Are Not Alone” あなたは一人ではないのです。